日蓮正宗 蓮華山 寿泉寺のホームページです。寿泉寺(じゅせんじ)は、秋田県大仙市に所在する日蓮正宗の寺院です。

〒014-0003 秋田県大仙市美原町4-55/電話番号 0187-62-5400

 
   

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 日蓮正宗 蓮華山 寿泉寺

 寿泉寺は、静岡県富士宮市にある「多宝富士大日蓮華山 大石寺」を総本山と仰ぎ、総本山大石寺に法灯連綿と伝えられる御本仏日蓮大聖人の正しい教えを人々に弘め、すべての人々が本当の幸せをつかみ取ることができるように、昭和48年、総本山第66世日達上人を開基として開創された寺院であります。

 一時期、不知恩の輩に寺院を不法占拠された事がありますが平成元年11月23日に現在地に移転新築し、秋田の布教のため、一人ひとりの幸せと安穏な世の中であることを願って日々に信仰活動が行われています。

 

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 寿泉寺での各種寺院行事には、特別な場合を除き、どなたでもご参詣いただけます。

  ※ご参詣を希望される場合は、必ず事前にご連絡をいただけますようお願いいたします。
   後日、法華講寿泉寺支部よりご連絡申し上げます。 ご連絡はコチラから
  ※ご参詣の希望に添えない場合もございますので、あらかじめご了承ください。

 

 

 御経日
 毎月1日/午前9時  寿泉寺では、毎月1日の午前9時より「御経日(永代経)」を奉修し、永代供養、当山檀信徒各家先祖・有縁の諸精霊(しょしょうりょう)の追善の塔婆供養を営んでおります。
 日蓮正宗では「常盆」「常彼岸」といって、毎日の朝夕の勤行において先祖代々の諸精霊に対し追善供養いたしますが、その上で毎月1日の御経日やお彼岸・お盆などにはお塔婆を建立させていただき、御住職・御僧侶の御導師のもと、亡き父母、さらには各家代々のご先祖に懇(ねんご)ろに追善供養をいたします。

 広布唱題会
 毎月第1日曜日/午前9時  毎月第1日曜日には、総本山大石寺をはじめ全国の日蓮正宗末寺において一斉に、午前9時より「広布唱題会」が行われています。
 総本山第67世・日顕上人猊下が平成16年12月度の広布唱題会の砌、「この広布唱題会こそ、正法を真に受持し、弘宣して、その功徳をもって多くの人々を救済していき、さらに乱れた世の中に対して真の正法の功徳、清風を送って正しくしていくところの一番の本である」と御指南あそばされているとおり、御本仏の大願である広宣流布を祈り、折伏成就の原動力となる大切な唱題会です。

 御逮夜御講
 毎月第2日曜日の前日/午後7時

 御報恩御講
 毎月第2日曜日/午前10時

 日蓮正宗寺院では、毎月第2日曜日、全国一斉に「御報恩御講(ごほうおんおこう)」が奉修されます。
 宗祖・日蓮大聖人は、「仏弟子は必ず四恩をしって知恩報恩をいたすべし」(開目抄御書530ページ)と、四恩(父母の恩・衆生の恩・国主の恩・三宝の恩)を知り、その恩に報いることの大切さを御教示されています。その四恩の中でも特に、私たちを成仏に導いてくださる「三宝(仏・法・僧)の恩」はもっとも尊く、深く、大切であるといえます。
 御報恩御講に参詣し、末法の御本仏・日蓮大聖人様に御報恩申し上げることは、すなわち三宝の恩を報ずることであり、毎月の御講参詣は日蓮正宗信徒として欠かすことのできない法要です。


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 年中行事の意義は、総本山大石寺に伝わる深遠(じんのん)な仏法を正しく伝えるとともに、僧俗が親しく行事に参加することによって仏縁を深め、もって広宣流布への前進を期するところにあります。

 興師会 2月7日
 私たちが今、宿縁深厚(しゅくえんじんこう)にして大聖人の仏法にあい、人生最大の目的である成仏の境界を得ることができるのは、ひとえに正法正義(しょうぼうしょうぎ)を堅く守り抜かれた第二祖・日興上人がおわしましたからであり、それゆえに本宗では「僧宝(そうぼう)の随一」として崇(あが)めています。
 興師会(こうしえ)は、日蓮大聖人から仏法の正義(しょうぎ)を受け継がれ、後世まで正しく法灯を伝えてくださった日興上人に対し奉り、僧俗一同、心から御報恩申し上げるための厳修される法要です。

 宗祖御誕生会 2月16日
 日蓮大聖人は、貞応元年(1222年)2月16日、貫名次郎重忠を父とし、梅菊女(うめぎくにょ)を母として、安房の国(あわのくに=千葉県)長狭郡東条小湊(ながさのごおりとうじょうこみなと)に、一切衆生を救済される御本仏として御誕生あそばされました。
 宗祖御誕生会(おたんじょうえ=日蓮大聖人御誕生法要)は、末法の御本仏である宗祖・日蓮大聖人様の末法御出現をお祝い申し上げ、その御報恩のために、御誕生日である2月16日に奉修される法要です。

 彼岸会 春季3月/秋季9月
 彼岸会(ひがんえ=お彼岸法要)は年2回、春分と秋分の時節に奉修されます。
 彼岸とは、梵語の「パーラミータ(音訳:波羅密<はらみつ>)」からきていて、すなわち「彼岸(パーラム)に到る(イータ)」であり、私たちが生活している娑婆(しゃば)世界である「此岸(しがん)」から、成仏の境界(きょうがい)である彼岸に渡るという意味です。
 彼岸の本来の意義は、まず生きている私たち自身が即身成仏して幸福な境界を切り開くことが重要であり、その功徳をもって先祖の追善供養をいたします。そして父母・祖先への知恩報恩(ちおんほうおん)のため、彼岸会のこの日に御本尊に御供養し、先祖の塔婆を立てて回向することにより、それが大善行となって到彼岸の要因となります。

 宗旨建立会(立宗会) 4月28日
 宗旨建立会(しゅうしこんりゅうえ)とは、末法の御本仏・日蓮大聖人が南無妙法蓮華経の大法の宗旨を建立し、立宗を宣言あそばされた建長5年(1153年)4月28日を記念して御報恩申し上げる法要です。
 この宗旨建立には「内証(ないしょう)」と「外用(げゆう)」の二義があり、4月28日宗旨建立の1ヶ月前である3月28日、まず法界に対する内証の題目の宣示をあそばされました。すなわち3月の宗旨建立は、顕正(けんしょう)に即する破邪(はじゃ)の説法を面(おもて)とされて少機のために大法を示され、4月は破邪に即する顕正の説法が面となり、万機のために題目を弘通せられた意義があります。
 日蓮大聖人は『諌暁八幡抄(かんぎょうはちまんしょう)』に、 「今日蓮は去(い)ぬる建長五年癸丑四月廿八日より、今弘安三年太歳庚辰十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし。只(ただ)妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計(ばか)りなり。此(これ)即ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」(御書1539ページ) とあるように、すべての人々を救済せんとする御本仏の大慈大悲をもって宗旨を建立あそばされました。
 日蓮正宗の僧俗は、不退転の法華弘通(ほっけぐづう)と正法広布を誓願あそばされた日蓮大聖人の御心を拝し奉り、その宗旨建立に篤(あつ)く御報恩謝徳申し上げます。

 盂蘭盆会 8月15日
 毎年8月15日および旧暦の盆に、先祖の供養をおこなう仏教行事を「お盆」、正確には「盂蘭盆(うらぼん)」といいます。  「盂蘭盆」とは、古代インド・サンスクリット語「ウランバーナ」の音訳で、「解倒懸(げとうけん)」と訳されます。
 「倒懸」とは逆さ吊りのことで、餓鬼道の飢えや渇きの苦しみが、あたかも逆さに吊るされた苦しみに似ているところから、このように言われました。つまり「解倒懸」とは、その苦しみから解放することを意味します。
 すなわちお盆とは、過去精霊(しょうりょう)の苦しみを取り除いて成仏へと導く法要なのです。
 彼岸会と同様に、盂蘭盆会の本来の意義は、まず生きている私たち自身が即身成仏して幸福な境界を切り開くことが重要であり、その功徳をもって先祖の追善供養をし成仏へと導くのです。

 竜ノ口法難会(御難会) 9月12日
 竜ノ口法難会(御難会)は文永8年9月12日、宗祖・日蓮大聖人の竜ノ口(たつのくち)の法難を記念し、御報恩謝徳申し上げる法要です。
 大聖人の御一生は「大難四ヵ度、小難数知れず」といわれるように大法難の連続でした。中でも9月12日の「竜ノ口の法難」は四ヵ度の大難中、とくに仏法上、重大な意義を持つ法難です。
 日蓮大聖人は文永8年9月12日夜半、鎌倉をお出になり、丑(うし)の刻に竜ノ口において頸をはねられようとしましたが、不思議な光り物が飛来して太刀取りの眼がくらみ、ついに頸を切ることができませんでした。
 この時日蓮大聖人は、仮の姿である凡夫のお立場から、末法の御本仏としての真実の姿を顕わされたのです。これを「発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)」と言います。
 毎年9月12日に御難会法要を奉修し、日蓮大聖人に対し仏恩報謝(ぶっとんほうしゃ)申し上げると同時に、未曾有の迫害とそのご苦労を偲(しの)び奉り、広宣流布(こうせんるふ)を誓うところに御難会法要の大切な意義があります。

 御会式(おえしき) 10月~11月
 日蓮大聖人の弟子・檀那にとって、一年で最も重要な法要が「御会式(おえしき)」です。
 御会式とは、日蓮大聖人が弘安5年(1282年)年10月13日、武州池上(現在の東京都大田区)の右衛門太夫宗仲の館において御入滅あそばされ、滅・不滅の三世常住(さんぜじょうじゅう)の相を示されたことをお祝いする法要です。
 御本仏・日蓮大聖人の御入滅は「非滅の滅」であって、寂滅(じゃくめつ)の相を示された御生命は、 「日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ」(御書685頁) との御金言のように、本門戒壇(ほんもんかいだん)の大御本尊として厳然と住せられ、常に衆生を導き、教えを説かれ、利益(りやく)を与えられているのです。
 御会式では、この御本仏の尊い御境界(ごきょうがい)を、そのまま儀式の上に拝します。
 御会式の法要では、御住職様と6人の御尊師様方によって、『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』ならびに『御申状(おんもうしじょう=国家諫暁<かんぎょう>の書)』が奉読(ほうどく)されます。この奉読こそ、他の日蓮門下の遠く及ばない、日蓮正宗独特の意義深いものです。
 日蓮大聖人の御化導(ごけどう)の目的は「正法治国(しょうぼうじこく)」にあり、これを述べられたのが『立正安国論』です。つまり、大聖人のご精神は折伏(しゃくぶく)にあるのです。よって、そのご精神を身をもって示された代々の御法主上人(ごほっすしょうにん)の御申状の奉読の儀こそ、大聖人の教えそのものを表現しています。またこの仏法によってのみ、一切衆生の真の安穏世界が築かれることをも表しているのです。
 御尊師様方が御申状を読み終わったとき、参詣者一同が異口同音(いくどうおん)に題目三唱することによって、御会式に参詣した人すべてが一人ももれなく、自ら御申状を奉読したことになります。このことにより、大聖人のご精神をわが精神とし、広宣流布へ向かって精進することを、参詣者一同が御本仏大聖人様にお誓い申し上げているのです。
 このように御会式とは、日蓮大聖人様の滅・不滅の甚深(じんじん)の御境界を拝して心から御報恩を申し上げ、さらに御本仏様の大慈大悲を現代に示しつつ、広布に向かっての一層の精進を誓う、誠に重要な法要です。
 このような御会式は、700年来、日蓮大聖人の正義(しょうぎ)を清浄(しょうじょう)なままに護持し続けてきた日蓮正宗以外では、絶対に奉修できない儀式であるといえます。 目師会(もくしえ) 11月15日  第3祖・日目上人(にちもくしょうにん)は、日蓮大聖人に御入滅の日まで常随給仕し、大聖人から甚深の法義を授けられました。
 そして日蓮大聖人御入滅後は常に第2祖・日興上人に仕え、その片腕として大いに日興上人を助けました。 日蓮大聖人や日興上人に代って天皇や将軍に国家諌暁(こっかかんぎょう)の申状(もうしじょう)を奏上すること、実に42度にも及ぶと伝えられます。
 大聖人のおそばで常にお給仕に励んだお姿は、末代の僧俗すべての鏡として長く門葉の讃仰するところです。その御高徳を拝する末弟信徒は、報恩の誠を尽すため、祥月(しょうつき)命日の11月15日に日目上人御正当会を奉修します。これが目師会(もくしえ)という行事です。(『御会式奉読立正安国論並御申状』より抜粋)

寿泉寺

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※日蓮正宗、寿泉寺および法華講寿泉寺支部を誹謗中傷するメールや嫌がらせなど、日蓮正宗の信仰を真摯に求めておられない方からのお便りには、返信いたしかねる場合がありますのでご了承ください。  

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 平成22年6月
 みなさんこんにちは
 寿泉寺支部 婦人部長の清水秀子です *(現在は寿泉寺講頭です)
 本日は広布推進会に当たり体験発表をとのことでしたのでここ数年間の体験をお話しさせていただきます。

 平成16年8月19日、主人が「疲れた」と言って横になって3日目のこと、突然他界してしまいました。
 突然のことで、すぐに寿泉寺の能勢御住職に電話して種々の配慮をしていただき無事に日蓮正宗で葬儀を行うことが出来ました。

 しかしながら現実には生きていくため心身ともに仕切り直しの場に放りだされた状況でした。 時を同じくして昭和50年代後半より市の区画整理事業に伴っての店舗の移転が始まる半月前のことでもありました。(店は洋酒バーです)
 これからのことを考える最中、副講頭の佐藤さんが「総本山への登山は御本仏大聖人様の大御本尊様にお目通りして、過去からの罪障消滅が出来る」と言う御自身の体験を話してくれました。
 その言葉に励まされ、夫の存命中に何度も総本山大石寺に登山しておりましたが、目標として100回の登山参詣を誓願し、(28年7月現在126回)まず実践だと決意して気持ちも切り替え毎日2時間の唱題も合わせて実行に移しました。
 しかしながら店舗の方はと言いますと6坪の小さなテナントでしたので市からの補償額は少なく新装開店経費も不安でした。
 とにかく3ヶ月の休業中、出来る限り信心活動に時間を使おうと、目標でもある登山を中心に、本山の寛師会法要、御大会法要、添書登山と実践していきました。
 その一方で店舗の移転の工事も順調に進みオープンの日程も12月14日に決まりました。
 そこで予想もしなかった市から多額の保証金が振り込まれ、思いがけない運転資金の福徳に恵まれ一切の不安も打ち消されオープンすることが出来ました。
 応に日寛上人の、
「此の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざる無く、罪として滅せざる無く、福として来たらざる無く、理として顕われざる無きなり」(日寛上人御書文段 189)
との御指南の通りに大きな功徳をいただきました。
 かつて御隠尊猊下様は「一切を開く鍵は唱題行にある」又、御法主日如上人猊下様も「動けば必ず智慧が湧く。(趣意)」との御指南を実感しました。
 ちなみに、店は昭和34年4月10日に開業してから、御本尊様に守られて今年で50周年を迎えました。

 大聖人様は三沢御房御返事に
「おのづからよこしまに降る雨はあらじ 風こそ夜の窓をうつらめ」(新編 762)
と御教示されております。
 雨は風がなければまっすぐに地上に落ちるのに風があるために窓に強く当たってしまいます。それと同じように私達の宿業は善悪共に風のような物かも知れません。 
 と言うのも、風一つとっても時には優しい心地よい春風、夏の涼風、秋の台風、冬の寒風、そのような宿業と対峙しながら、”揺るぎない境涯”を目指して自行化他に励みなさいとの大聖人様の御教示を数多く我が身に感じております。
 御隠尊日顕上人猊下様は平成11年3月に「限りなく 境涯開く題目を 常に唱えつ 広布目指さん」とお歌を読まれましたが、この境涯こそが法華講員の原点と位置づけ心のノートに留めております。
 さて私が初めて拝読した御書は新池御書の
「うれしきかな末法流布に生まれあへる我等、かなしきかな今度此の経を信せざる人々。抑人界に生を受くるもの誰か無常を免れん。」
(新編 1456)
との一説でした。

 15才の私は信仰の世界は悩みのある人間がすがりつく別世界であるとしか考えなかった時でした。
 その後進学、就職といろいろのキッカケで徐々に信心に目覚め早、今年で53年になりました。 
 それから、平成17年の初登山のスタート時には時間的にも経済的にもやり通せるだろうかとハラハラしながらも目標の御開扉も本尊供養御書に
「法華経の文字は六万九千三百八十四字、一々の文字は我等が目には黒き文字と見え候へども仏の御眼には一々に皆御仏なり。(中略)須弥山に近づく鳥は金色となるなり。」(新編1075)
の仰せを胸に秘めて、先般の支部登山で69回*(平成28年7月現在126回)大御本尊様にお目通りが出来ました。 当然ここまで続けてこれたのも御本尊様の御加護があってのことと感謝すると共に正しい宗教は経王殿御返事に
「鬼にかなぼうたるべし。」(新編 685)
であることを実感しております。
 いつも能勢御住職は、唱題しても、御登山しても折伏しなければ決して前には進まないし、境涯も変わらないと自行化他の大切さをお話しくださいます。
 しかしながら活動の移動手段が自転車か徒歩でしかない私は、特に冬場は雪もあり限界もあります。
 考えてみれば、あらゆる人たちと縁の持てる場所は店だと思い立ち、功徳を頂いた店こそ最適の折伏の場であると気づいて「普段着の折伏」をはじめました。 
 振り返ってみると登山の回数、唱題行が進むにつれ、折伏も進み平成17年から平成21年までで16名の方を折伏することが出来ました。

 中でも今年に入ってからは4名の方を折伏できました。
大半が店を縁としての入信ですが不思議と困ったことや悩みのある人は私の店に御本尊様に導かれるように来店します。
 これも毎日の唱題行の功徳と確信しております。
御住職様も佐渡の千日尼と言う方が大聖人様に、度々お給仕し御供養されたことを例に出され、まずは清水さん千回、寺院参詣をしましょうと励まされました。(平成28年6月現在2900日になりました)
 そして毎日の下種、再折伏は最低2名を目標にし不思議なことにその流れは今も変わりません。

 話は戻りますが3年前の1月28日、深夜の帰宅途中にアイスバーンで自転車ごと転倒してしまい左肩を骨折してしまいました。
 予定では2週間後に本山の御誕生会に登山する時でした。
ここまで実践してきたことを、怪我くらいで投げ出してたまるかと思い痛む腕を三角巾で吊し文字通り体一つで登山に臨みました。
 無事本山に到着し御開扉をお受けし宿坊に戻りなんとなく腕をさすってみたら、すっかり痛みが消えてそれどころか指先まで動くようになっていました。
 その後は骨折した肩も順調に回復し予定を早めてリハビリも始まり仕事冥利というかカクテル作りのシェイカー振りが肩を動かす最適のリハビリとなりました。
 その頃の手帳には妙心尼御前御返事の「病によりて道心はおこり候か」(新編 900)
と記されておりました。

 その後無事平穏な生活を送っていた昨年6月27日の支部総登山で本山にいた私に夕方、川崎にいる長男から「至急電話乞う」とのメールが入りました。 
 ただごとではないと感じた私はすぐに連絡を取りました。
その知らせは千葉にいる長女が体調を崩し、千葉の「がんセンター」に緊急入院したとのことでした。 
 御住職様も一緒に本山にいたのですぐ「御秘符」を申請して下さり、御秘符を頂戴しました。
 その後、御住職様が猊下様にお目通りした際に長女のことをお話しくださり、勿体なくも猊下様よりは「しっかりと治療に専念して、75000名登山には代わりの方を参加させるようにとの」御指南を賜り私にそのことを伝言して下さいました。
 御秘符と猊下様のお言葉を胸に娘の喜ぶ顔を思い浮かべながら「がんセンター」に向かいました。
 長女は平成15年、35歳の時に乳ガンを患い手術の1年後リンパ転移のための手術、そんな中、長女の子供の頃からの夢であった正看護婦を目指しての勤務学生、母子家庭生活、准看としての市原公立病院に嬉々として働いていた矢先の入院だったのです。その時は余命1ヶ月と宣告されました。
 娘は強い抗ガン剤の投与を受けて意識が朦朧としており到着した私の認識さえ出来ませんでした。翌日、症状の落ち着いた頃、「御秘符」を頂き、その後7月14日に御住職夫妻がお目通りの際いただいた羊羹を持って千葉の病院までお見舞いに来てくれました。つらい闘病生活の中で甘い物の好きだった娘が喜んで食べるなど嬉しい日もあり一進一退の病状が1ヶ月続き、検査の結果、一般病棟より緩和病棟に移動、残念ながら75000名大結集への参加を断念。しかしながら猊下様よりのお言葉通り長男と連絡をし合い横浜に住む長男の友人を折伏、千葉の本城寺さんで御授戒を受け、娘の代わりに大結集総会に一生に参加することが出来ました。
 娘の念願も叶い嬉しいことに長男の再婚相手に決まりました。

 そして8月6日、日差しの暑い日でした。センターの夏祭りが催され、娘を車いすに乗せ、広場での盆踊りを楽しんでいるときに娘が突然
「母さん、ここからパパの所に行きたくない。大曲に帰りたい」と、訴えるように語りかけ、御住職様の御指導の許、担当医の意見を聞いて、移動に当たっての検査。結果は肺全体が白く写って末期状態です。また腸全体にガン細胞が広がり、すでにその時は余命宣告の時期は過ぎていました。
 それでもソーシャルワーカーの手配と大曲組合病院の受け入れ手続きも済み8月19日酸素ボンベ、車いす、途中万が一に備えての他の病院への紹介状を準備して、センターから東京駅まで民間救急車で移動し当日夕方に無事大曲組合病院に到着したときは、娘の喜びはひとしおでした。
 3日後全身にまとわりついていた管はすべて外され、食事、排泄、呼吸が自分の力で出来少しですが病院内の散歩もできるように成り、有名な大曲の花火を病院の屋上で見ることが出来大喜びしました。
娘が「母さん、ありがとう、母さん帰ってこれて嬉しいよ、母さん疲れない」と最後の生命力を振り絞り語りかけてくれました。
 大曲を離れて22年、角館南高校看護科中退等もあって遅れること20年にして看護の道に進み看護婦の卵として一時期を過ごし2ヶ月の更賜壽命を得て平成21年8月29日、40才で来世に旅立ちました。

 法華題目抄に
「妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すはよみがへる義なり。」(新編360)
と御教示の如く、環境の変化と必死の題目が娘を蘇らせ亡くなる2日前の肺のレントゲン写真は白い部分が3分の1に減っていました。
 大きな病魔と闘いながら、最後まで自分の夢に向かって進む純真な信心のあり方を娘は私達家族に身をもって示してくれました。
 余談ですが、娘が入院するちょうど1ヶ月前。毎日唱題行に寺院参詣していたある日、店でお客さんと車の免許の話になりその5日後には私は予想もしなかった自動車教習所の生徒になっていました。
 娘が入院したときは、仮免を取り路上教習5日目を迎えてました。
 それを知った娘は「頑張って免許取って私の車に乗ってな」とピカピカの新車を遺してくれました。昨年11月72才の私は無事に自動車免許を取得しました。
 毎日の寺院参詣することが娘の無念を消していく物と思い運転して2ヶ月。行動範囲も広くなり大きく境涯も変わりました。
 大聖人様は妙一尼御前御消息 に
「法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかずみず、冬の秋とかへれる事を。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となる事を。」(新編 832) 
と御指南されております。

 人生山あり谷ありですが、すべての解決方法は御書にお示しです。猊下様の御指南と御住職様の御指導をしっかり守って1つ1つですが諦めないで実践していけば、必ず解決され良い結果が得られることを実感しました。 
 広布前進の今年のスローガンにそって更に自行化他の悔いのない信仰の実証を体験していく決意です。
 以上を持って終わります。ありがとうございました。

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 皆さんこんにちは 私は寿泉寺支部の清水紀子です。よろしくお願いします。
 本日は秋田地方部、地方部総会誠におめでとうございます。
 このすばらしい日に、自分の生まれ育った秋田で体験発表ができることをとてもうれしく思います。そしてこの発表を通して一人でも多くの方がますます信心に励みますように念願しております。

 私は創価学会の熱心な信心活動をしていた両親の元に生まれました。毎日、毎日御本尊様のすばらしさ、ありがたさと日蓮大聖人様の御書を引用しての様々な話を聞かされ育ち、それは今でも変わらず続けられています。と言っても若い頃は信仰心が全くなく、右から左へただ抜けていくだけでした。本日お集まりの方の中にもうちの子は全く勤行をしない、とお悩みの方もいらっしゃるかと思いますが、きっといつかは大聖人様の本当の信心ができるようにと信じて、今まいた種がやがて芽が出て花が咲くようにとあきらめずにことあるごとに語り続けていただきたいと思います。

 さて、私は准看護婦の資格が取れると言う事で、高校は看護科に進みましたが、若気の至りと申しましょうか、時には警察、時には家裁(家庭裁判所)、親、学校にありったけの迷惑をかけ、当然のように看護科は「中退」となりました。そしてあまりの素行不良から家裁から「大曲からでないと鑑別所に入ることになる」とまで言われ今までの自分を脱却する、変わるために神奈川県に行く決意をしました。そして一年後、十九歳の時に当時住んでいた、新宿から近かった中野の「昭倫寺」様に於て今もまだ学会におります叔母の紹介で御本尊様を御下附していただき、一番小さな、また一番安い仏壇を用意して御本尊様を安置しました。
 しかしまだ信仰心のない私はそれこそ困ったときだけ勤行唱題をする言わば自分勝手でわがままな信心をしていました。それでも御本尊様は一人で上京してきた私をお守りくださり、新宿から千葉に移っても沢山の友達との楽しい毎日を送らせてくれました。

 そんな中、今回の学会問題が起こり、それを機に家族全員が脱会しましたが千葉の叔母は今も学会に残り連絡等も一方通行となり疎遠になってしまいました。それから時が過ぎ二十四歳の時に娘の「蓮」を生み間もなく離婚。そんないきさつもあり、生活面での不安も重なり少しですが勤行の回数も増え始めました。
 そして二十九歳の時、信心を猛反対する男性と同棲を始め、まだ考えの甘かった私は少しのためらいは合ったものの御本尊様をお巻きして小さな仏壇と共に押し入れに入れっぱなしと言う大変な御不敬をしてしまったのであります。彼からは異常なまでの嫉妬を受け精神的に参った私は8キロもやせてしまいました。
 大聖人様が「諸経と法華経と難易事」に「仏法は体(たい)のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり。」と仰せの通り、御本尊様に対しての御不敬がそのまま生活に反映されていったのであります。別れ話、応じてくれない彼から逃げる様に生まれ育った大曲に一時帰省した私は別れるために毎日、沢山の勤行と唱題に励みました。
 そんな私に父が「大切な御本尊様をお巻きしているのだから窮屈なのは当たり前だ」と一喝されました。その結果、何の問題もなく別れることが出来すぐに千葉に戻り早速、御本尊様を押し入れから出して、一生懸命題目をあげ、御本尊様と一度きりの人生を大切にして色んなことを学び、人としても成長しようと心構えも変わってきました。でも具体的には何をどうしたらよいかわからず、ただひたすら「南無妙法蓮華経」と勤行、唱題に励みました。

 そんなある日、不思議なことに唱題の最中に大検を受けて大学に行こう!とひらめきました。まさに御仏智でした。そしてその年、信心修行に邁進すると共に勉学も励み全科目に一発合格し、翌年の春から大学に入学することが出来ました。しかし課題もあり、まだ幼さの残る娘を一人で育てていた私は毎日往復5時間の通学と収入がなくなるのがとても無理だったので社会人をしながらでも学べる通信科を選びました。紹介で入社した「日通」の事務員と「大学」の勉強と疲れもしましたが非常に充実した楽しい毎日を送っていました。
 しかし現実問題として、教科書代などの出費も多く経済的には苦しい状況でしたが、一年目を無事に終え二年目の通学に入る直前、乳ガンであることがわかり乳房の切除と比較的軽い抗ガン剤治療することになりました。そこで今は勉強よりもあまり疲れを作らずに健康な体を取り戻す事に専念し、大学をやめました。大検の資格はいつでも有効であると言う頭もあったので、又、元気になって経済的余裕が出来たら入学し直そうと考えました。
 大聖人様が妙心尼御前御返事に「病によりて道心はおこり候か。」と御金言の如く、あとは御本尊様にお任せするんだという気持ちで、ガンだって大したことはないとポジティブに考え、今まで以上に信心に活力がわいてきました。より精神的に強くなった私は手術によりなくなった胸を見ても、何のショックを受けずに、両親と私、娘の四人で手術の成功のお礼と感謝の登山をさせていただきました。そして軽い抗ガン剤の治療を受けながら又、「日通」の事務員として職場復帰を果たしました。しかし「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とのことわざのように、又、勤行がおろそかになってしまい本当に自分勝手なわがままな信心に戻ってしまいました。

 ここから少し話が変わりますが手術の一年後の36歳の時に信心強盛だった父が二日間も寝込み、そして布団の中に横たわりながらも、手にはお数珠を持ち声は出ませんが母と一緒に勤行をする中、「南無妙法蓮華経」と最後に唱え息をひきとりました。
 父の死に関しては本当に沢山の不思議なことが次から次と起こりました。中でも葬儀代がなかった我が家では家のあちらこちらで父のタンス預金が見つかり、支払い等も滞りなく出来たことは本当に感心しました。そして信心強盛だった父は残されたものに何一つ迷惑や心配事を残さずに無事に日蓮正宗の寿泉寺の能勢道信御住職の導師の元、寿泉寺の本堂において葬儀も無事に行われ大聖人様の元へと旅立っていきました。
 この場では伝えきれない数々の功徳と父が人生で最後に口にした「南無妙法蓮華経」その出来事を孫や弟の嫁さんをはじめ残された家族は皆それぞれに納得し、誇りに思いこの信心のありがたさとすごさ、すばらしさを実感し本当の法統相続が出来ました。
 日蓮正宗の信心を通じて私たち家族は遠く離れた場所にいてもお互いに励まし合い激励して家族以上の絆が出来、今父に一番に喜ばれる恩返しとして毎月19日の命日にはお寺さんで必ず塔婆供養をさせていただいております。
 さて、話が戻りますが、父の死から4ヶ月がたった一昨年の暮れに私は又リンパへのガンが再発しました。
 通常のガン患者の平均に対し私の場合4~5倍のガン細胞とかなり強力な生命力をもったガン細胞がありました。病院の先生からは「今回は真剣に体のことを考えて下さい、こんな数が多いのは滅多になく私は正直ビックリしています。大変ですが一番強い抗ガン剤治療をしましょう」と伝えられ私はひたすらお題目をあげ、「私にもっと寿命を下さい。使命を果たす為にもっと長生きさせて下種、折伏のお手伝いと母と娘を残して死にたくないと。蓮を一人にして淋しくさせたくない」と、そう何度も何度も繰り返し御祈念させていただきました。抗ガン剤の副作用は想像を絶するほど苦しく辛く、待合室では涙が頬をつたう程嫌なものでした。点滴後の4日間は2.3時間おきの激しい嘔吐と臭いに敏感になる症状のせいでご飯は勿論、水を始め何一つ口にすることが出来ずに、本当に苦しく、空腹を満たせない状況で人間は体力が無くなると精神的に弱く成ることを実感しました。つまり死を意識してしまうのです。
 しかし「私は負けない!人生80年のたった4日間。水が飲めなくたって大丈夫、頑張れ」と気力を振り絞り、自分に言い聞かせ8回ある内の2回を何とか乗り越えることが出来ました。でも実際は体力が無くなったせいで床に伏せることが多く御本尊様の前へ座ることが急激に減りました。信心も体力も衰え始めた中、転機が訪れました。20歳の時に一緒に信心活動や勤行をしていた信心の熱心な友達と私の友達とが知り合いだったのです。彼女は法華講であることがわかった私はすぐ彼女と連絡を取ることになりました。

 ところで私の信心活動はというと千葉での塔婆供養をする為にお寺に行くだけで御講や永代経等の行事には全く参加することが有りませんでした。そこで彼女の所属である千葉県東金市の本城寺さんに預かり信徒として寿泉寺御住職の計らいにより、お世話になることとなりました。私の状況に対し御住職様は「具合が悪くても御本尊様の前には、はってでも行き勤行をしてくださいきっといい結果が出ますよ」と御指導下さいました。その言葉に今の自分の甘さを再認識し朝夕の勤行に励みました。友人に治療がおちついたら経済的な面で負担が少なくなるように引っ越しをしようと思ってる」と言った私に彼女は「自分のお家よりまず御本尊様だよ。何でも御本尊様が最初だからね」と教えてくれました。19歳の時に買った一番小さい仏壇だったこともあり、一週間もしないうちに全財産であった30万円を下ろし新しい仏壇を購入した時の喜びはまるでマイホームを建てたかのような気持ちでした。
 そして迎えた御本尊様御安置の日、問題が発生。彼女が私の御本尊様をのぞき込み「何か短くない?」と言いました。私もおしきみを口にくわえて確認したところ下にある軸のところから切り裂かれのりづけされているのかわかりました。そこですぐに寿泉寺と本城寺の御住職さんから御指導を頂き表装替えをすることになりました。
 思い起こせば29歳の時、御本尊様をお巻きした際には御不敬が有ったことに気付かずに過ごした事のお詫びの題目を一生懸命に上げこのお詫びを折伏で返していきたいと思いました。それと共にガンの原因であると実感。一方住職さんの御指導の元、迎えた3回目の治療では不思議なことに4日間も苦しんだ嘔吐はたった2回となり翌日でも充分な食事をとれる体になったのです。御住職さんが「御本尊様をお守りさせていただくと自分も守られるんだよ」と言われていたことを思い出し、やっぱり本物は違うと本当に驚き、残す5回の治療でも副作用はとても軽くなり無事抗ガン剤治療を乗り越えることが出来ました。

 人生で一番辛かった時の体験談と父の他界の時には数々の御仏智、功徳を頂きチャンスが有れば信心の話を積極的に友達にも語り、御本尊様のすばらしさを伝えていくことに私は喜びを感じそして初めての折伏と御本尊様を下附していただくことが出来ました。本当に今までにない喜びと御本尊様を御不敬したことに対して微力ながら恩返しが出来たかなと思っております。
 その後はと言うと薬の副作用で丸坊主になった姿で何度も登山し戒壇の大御本尊様に御不敬のお詫びと仏壇の購入のお礼、よき友に巡り有った感謝と折伏できた事の報告をさせていただきました。大聖人様は光日房御書に「小罪なれども懺悔(ざんげ)せざれば悪道をまぬかれず。大逆なれども懺悔すれば罪き(消)へぬ。」と仰せであり必ず物事には原因があることの再認識と懺悔の大切さを実感しました。

 そして昨年の年末に放射線治療も終わったこともあり、私と娘は4月に中学に進学するのを機に秋田に戻って生活することを決めました。ところがひょんなことから私の住まいのそばに看護学校があり願書受付をしているのを知り、「抗ガン剤治療で苦しんでいる人たちを理解し、助けられるのは私しかいない」と思いたち願書締め切り日に書類をどうにか揃え提出し受験をすることとなったのです。今回は二つの選択肢の中から看護婦になり看護の道へ進むのか、それとも秋田へ帰るのか最良の道へ導いて下さい。」と御祈念しました。そしてもしも合格したら親子で学生となるのだから出費も大変だろうと思い念のため県営住宅の申し込みをしておきました。その結果今まで10回も外れていた県営に当選したのです。本当に嬉しくて嬉しくてなんてすごい功徳なんだと思いました。
 治療で苦しい中、頑張った勤行と出来る限りの下種をし折伏をした私への御本尊様からの御褒美だと、とらえありがたくてありがたくて歓喜でいっぱいです。またここで一つ気がついたのですが仏壇を大きくしたら自分の住まいが大きくなり仏間まで持てるようになりました。

 そして話を先ほどの御本尊様の表装替えに戻しますが表装から戻り、お寺さんでお清めしていただき、きれいになった御本尊様の入仏式を終えた日、今まで何度もお願いしても叶わなかった願いである父との再会を夢ではありますが叶いました。夢の中で父が「紀子 いがったな いがったな」とニコニコと笑ってました。親子の縁は目に見えなくても繋がっていることを実感し、私は塔婆供養を大切にし住職さんからも大聖人様の教えの中で塔婆は「風下にいて風に当たっただけでも功徳があるって」仰せられいますよと言うことを聞き必ず供養には塔婆が必要なんだと建てた私自身が感じることが出来るようにもなりました。

 この一年近くの間に様々な出来事の中で常に信心の気持ちを忘れずに過ごした事がガンを乗り越える生命力と精神力を育て変毒為薬の証(あかし)として看護の道へ歩ませてくれたのだと思います。私の力やラッキーということはではなく、全てが功徳であり御仏智であり使命なのです。つまり御本尊様に対してはいつもさせていただくと言う素直な気持ちが大切です。
 大聖人様も妙心尼御前御返事に「又このやまひは仏の御はからひか。そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人、仏になるべきよしとかれて候。」と仰せであります。何一つ無駄のない本物の宗教、それこそが日蓮正宗。日々怠ることなく自行化他に励み、これからも皆さんと一緒に前進していき平成21年の『立正安国論』正義顕揚750年の大結集登山には一人でも多くの方が大御本尊様にお目通り出来ますことを念願して私の体験発表にかえさせていただきます。
 ご静聴誠にありがとうございました。

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作成:パソコン教室のんびりじっくり

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